「小さいおうち(中島京子)」と「小間使い(キャサリン・マンスフィールド)」

「小さいおうち」と「小間使い」、2冊をたまたま同時期に読んで(読み返して)気がつきました。
・・・ちょっと、似てる。
どちらも家事を担うべく住み込みで雇われた女性、女中と小間使いのお話です。
小さいおうちのタキは平井家の奥様に家族のような親友のような愛情を、小間使いのエレンは奥様と大奥様(既に故人)に崇拝と慈愛の入り混じったような愛情を抱いています。
いずれも雇用者と被雇用者の関係なわけですが、舞台は20世紀初頭の英国(たぶん。ニュージーランドかも。)と昭和10年代の日本、良くも悪くも両者の心理的距離の近さは現代の比ではありません。
タキはその後独身のままいくつもの家庭で働き、老後を迎えますが、大切な人として想うのは、空襲で亡くなったあの奥様だけ。
エレンは奥様から離れることが嫌で、決まりかけた結婚を取りやめて奥様との暮らしを選びます。
その在り様を、タキはノートに綴り、エレンは客人に語るのです。
読む人によって、いろいろな感想、意見が出てきそうな物語です。

さて。
「小さいおうち」で、一番心に残ったのは、登場人物のひとりが口にし、後にタキが回想する、「黒薔薇(くろしょうび、吉屋信子が私的に発行した冊子及びその掲載作品」の一節)。
「男女相愛の道程を辿るのは第一の本道であるにちがいない、けれどもなお第二の道はあるはずだ。そしてまた同時に第三の道も許されていいはずだ。」
異性愛、同性愛、職業愛(?)を肯定する文章です。
私は「黒薔薇」を読んだので(所有してます)わかるのですが、ここでは、同性愛のことを暗示していると思います。
ラスト近く、このお話ではひとつの謎が提示されるのですが、そこからも、
「タキは奥様に恋していた」
というふうに感じずにはいられませんでした。
さすが中島京子、と言っちゃったら、逆に偏見になりそうだけど、私は好きです。

そして、「小間使い」。
エレンの場合は、恋しているというよりは、「この人は、自分がいなくなったら生きていけない」と、無意識のうちに感じていたのかも、と思いました。
この時代の上流家庭、家族だけで家事をこなす能力も、そうする理由もあるわけもなく、エレンが去れば次の小間使いが雇われるだけです。
でも新しい小間使いは、エレンの奥様への愛情まで引き継いでくれることはないでしょう(誠意はあるかもしれませんが)。
とはいえ、エレンも自分自身の好みや行為が皆無というわけではありません。
大奥様の幼い姪たちを市(いち。今で言う商業イベントでしょうか)へ連れて行った際、荷車用ではない、娯楽用のきれいな飾りをつけたロバに心を惹かれます。
そしてその夜、エレンはその思いを一人、口にします。
「あたし、驢馬にのってみたいわ。驢馬にのってみたいのよう!」
・・・ここ、一番心に響きました。
純粋な、紛れもない自分の望み、たった一つの願い。
いいなあ!
こんなに何かに心から思い焦がれてみたい、とゼータクなことを思ってしまいました。

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