2024年の視界

新年最初の日曜日、CBR650Fに火を入れるべく、ランチツーリングに出かけました。
久しぶりのお出かけですが、車検を済ませたばかりのバイクは絶好調!
目指すは横須賀・ソレイユの丘です。

過酷な勤務が常態化しているためか、肩凝りやら腰痛やら、ほとんど持病みたいな身体的な不安を抱えつつの初乗りでしたが、走り出すと不調はきれいに消え(ホントに)、気分爽快でした。

そろそろ年齢的にバイクは危なくなってくるのか、人並みにそんな心配もし始めていましたが、今のところ大丈夫か?

そんなことを考えながら、保土ヶ谷料金所で一時停止した夫(ETCの事情)を待つべく、パーキング出口付近にバイクを停めることにしました。

路面がちょっと荒れてるけど、全然平気!
・・・とバイクを寄せたら、全然平気じゃない!
路面が荒れてるんじゃなくて、ジャリジャリだった!
ここはイヤ!
と、少し先の、確実に鋪装が綺麗な場所に一時停止しました。

単に荒れた鋪装路面か、ジャリジャリ路面か、遠目で見分けられなかったんですね。
とりあえず、明るい時間帯で助かった、というところでした。
ゆっくりと、しかし確実に忍び寄る我が身の経年劣化、心せねば。

そういえば、道路標識の細かい文字が判読できる距離も、短くなってきてるかな。
暗くなってからの車線変更も、ミラーに映るライトで見づらくて、目視で後方確認はするものの、ちょっと怖いなと思うこともあるし。

まだまだバイクには乗っていたいから、視覚の感度が落ちてきているのなら、視界に対する感度を上げていかねば、と痛感したランチツーリングになりました。

ともあれ、今年も元気に楽しく走りたいです。

おやすみ、ロッキー

「ロッキーが虹の橋を渡りました。」
夫からのラインに気づいたのは受信から30分後、客先との懇親会が終わって、会計を済ませた時でした。
私が飲んでる真っ最中だったのか・・・。
2023年4月17日19:35、17歳8か月と14日の生涯でした。
大切な家族だった一匹の猫。

その朝、私と夫は、ロッキーをかかりつけの獣医さんに預けました。
前夜、何度も力尽きそうになりながらも苦しい呼吸を続けていたので、もしかしたら持ち直すかもしれないと思ったのです。
でも、助けることはできませんでした。
大の苦手だった動物病院で、大嫌いだった獣医さんに看取られて逝ってしまった・・・こんなことになるなら、家で最後の瞬間まで、見届けてあげたかった・・・。
死因は腎不全。
10年近く糖尿病の治療を頑張ってくれたロッキーでしたが、生き物の命、というか臓器には当然ながら使用限界があったのでした。

彼(私と夫は会話の中で、ロッキーのことをこう呼びます)の死に関して、私には大きな後悔があります。
我が家で過ごした最後の夜、私が帰宅した時には、彼は衰弱のあまり水飲み用に置いてある容器まで辿り着けず、台所の床に伸びていました。
私は水を飲ませ、さらに給餌も試みましたが、食べません(当然か)。
その時、どうして気づかなかったんだろう、彼の大好物のツナ缶の、せめて汁だけでもあげよう、と。

その後帰宅した夫は、食事ができないなら、薬だけは与えなければ、と言い、おそらく致命的なミスを犯しました。
腎臓の薬と一緒に、インスリンを与えてしまったのです。
エサを食べていないのに、インスリンを与えたりしたら・・・。
後に、獣医さんからそのことを指摘されましたが、夫は受け止められなかった様子でした。
私は夫を責めませんでした。
気づかなかったこと・・・過失・・・は私も同じだから。

彼の死後、しばらく私は普通に冷静に過ごしていたと思います。
悲しみに浸ることが、仕事や現実からの逃避みたいに感じていたのでしょう。

ただ、こんなふうに考えていました。
これからはもう、一瞬たりとも違う場所で別々の時間を過ごすことはない。
いつも、ロッキーは、わたしの中ですやすやと眠っている、と。

だけど、平静さを無理に作って、悲しみから逃げていたことが、今となってはわかります。
夏を迎える頃には、私は感情偽装?に耐えられなくなったのか、ロッキーの死を思って、素直に泣けるようになりました。

今でも、思い出すと涙が出てくるのですが、やっぱり書き留めておきたい。
生きた時間の全てを、私たち家族にくれた猫のことを。

少しずつ、書いていきたいと思います。

諸人こぞりて、Freude!

12月初めのこと。

ある女性バイクジャーナリストさんが主催する、初心者を中心とした女性向けのバイクレッスンに、インストラクターとしてお手伝いに伺いました。
場所代やスタッフのお弁当代、その他もろもろ、受講生さんの参加費だけではとても運営できないレッスンです。
なのに、この方は、熱心に取り組み、私たちお手伝いに、お菓子の詰まった赤い袋までくれたのでした。
そして、そのお菓子の袋には、メッセージとクオカードが・・・

この優しさ、気配りは、他へつながなければなるまい!

というわけで、クオカード全額分食糧を買って、フードドライブに届ける事にしました。
が、なんだか気恥ずかしくて、しばらく実行に移せないままもうすぐクリスマス。

今日は会社で落ち込むことがあったので、ユミコさん(あ、名前言っちゃった)の優しさにもう一度触れたいと思い、遂に決行しました!
向かう先は、確実にクオカードが使えるコンビニです。
そのコンビニ系列のプライベートブランドに絞ってレトルト食品やお菓子、シリアル、パックご飯を選びます(割高になるのがイヤだから。せこい!)。
あれやこれや、何にするか悩む買い物の楽しみを久しぶりに味わいました。

レジを済ませ、店を出る時になって初めて、「諸人こぞりて」が店内に流れていたことに気づきました。
いちばん好きなクリスマスソングなのに、テンパってたんですね。

コンビニからフードドライブ受付のあるスーパーまでの道すがら、当然、「諸人こぞりて」を口ずさんでいました。
落ち込みは、いつのまにか消えたようでした。

Freudeはドイツ語で喜びを意味するのだとか。
ユミコさんに聞きました。
結果的に今日、私は誰か見知らぬ人にクリスマスプレゼントを贈り、喜びを感じることができた、ということなのかもしれません。

諸人に幸多かれ。

8の字特講

私は基本的に、練習が足りてない・・・

砧や府中には参加できないし(そもそも勤務先が横浜に移転して、都内在勤でも在住でもなくなりました)、桶川は競争激し過ぎて滅多に予約が取れない。
そんな思いから、旧友のぴろさんにムリ言って、はるか茨城県西自動車学校の「安保塾」に連れて行ってもらいました。
・・・いや、ホントに遠かったです。

なのに、現地に行ってみると、知った顔ぶれがあちこちに。
「練習難民がたくさん集まってくるんだよ。」
みんな、困っていたんですね。

クラスは、初参加ですが「準中級者」を選択。
が、クラスのカリキュラム通りに練習したのは午前中だけで、午後は、塾長自らハンドルを執る(そんな日本語あるのか?)8の字特別講義に参加させていただきました。
因みに、この講義名も私が勝手につけたものです。

安保塾長の特講は、図解によるU字カーブの走行ラインの説明から始まりました。
※図は再現しませんので、言葉でお読み取りください。U字を上下逆にして、左から右に曲がるところを想定しています。

図解1 アウト イン アウト
カーブ走行のライン取りは「アウト イン アウト」です。
カーブへの進入は道路のアウト側から、カーブ頂点通過はイン側、そこから再び道路アウト側へ向かいます。

図解2 スローイン ファストアウト
上記の通り、アウト側(=速い)からカーブ入り口に近づいたら減速(スローイン)、カーブの頂点を出る際に加速(ファストアウト)します。

図解3 一歩我慢
カーブ頂点を出る際の加速をする場所(クリッピングポイント)は、カーブの頂点ではなく、一歩我慢して、後輪がパイロンに接近した点。

以上を理解した上で取り組む8の字とは!?

みなさまご承知の通り、ターンの基本は「大きく入って小さく出る」、つまり、後輪は前輪よりも内側を通る(内輪差)のでその分前輪に余裕を持たせて進入します。
そのため、パイロン2本を置いた8の字練習では、パイロンが真ん中ではない、歪んだ8の字を書くことになります。
パイロンを回って、アクセルを開けるクリッピングポイントは、後輪がパイロンに近づいた時。
この時、進みたい方向にハンドルを切り、加速するわけで、これが実は、前述のU字カーブと同じプロセスなんですね。
「一歩我慢」によって、進みたい方向に車体を向けられるタイミングを待つ、ということなのでした。

と、話は目からウロコでよくわかったのですが、実際やってみたら、やっぱり難しい。
後輪をパイロンに十分近づける際、ハンドルを適切な量切れずに足りない分車体傾けたりするとコケるよ、と言われましたが、こちとらSSなので、どーしても車体を傾けたくなります。
案の定、危うくコケそうになりましたが、なんとか持ちこたえました。
「いい経験だよ。」
塾長からはナイスな一言が。
そう、練習って、たぶんそういうもの。

そんなこんなで、酷暑の中、へとへとになりながらの練習でしたが、楽しく、そしてありのままの自分と素直に向き合えた、いい時間でした。
久しぶりに、指導員になる前の、練習に明け暮れていた頃(そうでもないか)を思い出しました。

また、あの頃みたいに練習したい。
納得いくように走れなくて落ち込むことはあっても、自分を卑下するのではなく、笑って励ましていたあの頃。
でも。
「あの頃」に戻るんじゃない。
「あの頃」夢中になって取り組んでいたことを、「今」新しく始めるんだ。
ワタシは懐古怪人じゃないからねっ!
などと考えてみるのでした。

長い長い帰路を良き仲間たちに道案内され、無事帰宅。
見上げる夕空には、スーパームーンと見紛うばかりの美しい満月が浮かんでいました。

(ぴろさん、素晴らしい一日をありがとうございました。)

HMSバランス(思い出の樹の下で)

4月になりました。
この時期のHMSバランスコースといえば、そう、一本橋の側の、満開の桜です。
心弾む中にも、一抹の寂しさを感じるのは、この桜にまつわる思い出が多すぎるからでしょうか。
ずーっと頑張って練習してきた(つもりの)一本橋。
初めてHMSに参加した頃からお世話になった、今はもういないインストラクターさんに、たくさんの教えと励ましを受けました。
なのに未だに一本橋の女王?じゃないのは申し訳ない限りです。

今日の担当インストラクターはYさん。
なぜかマリで桶川に来る度に出くわす、気さくな方です。

練習は直線を半クラッチで進むところから始まりました。
低速、特に一本橋を想定した場合、つながるかつながらないかのボーダー操作がキモになるわけですが、さて、今までどんなこと教わってきたっけ?
そうだ、レバーは外側より根元に近い方が繊細な操作ができるのでした。

次の練習は、半クラッチに加えてリアブレーキ。
Yさんは、内側のくるぶしやその上の部分を車体にフィットさせると、足の指先で細やかに操作しやすい、と解説してくれます。
あ、これって、以前、インストラクターのKさんが教えてくれた「くるぶしグリップ」だ!
ステップ上の足を置く位置も色々試してみて、と言われて、少し後ろにしてみました。
私は足も小さいので、つい踵をステップに置いてしまうのですが、思い切って土踏まずを置いてみると、意外にもブレーキペダルが足の指先で優しく扱えます。
おお、これだ!

そして上体の動き。
バイクはハンドルを切ると反対側、例えば左にハンドルを切ると車体が右に傾こうとするので、人間は無意識にハンドルを切った側に上体を動かしてバランスを取るわけですが、この時、頭を振ると逆にバランスを崩しかねません。
脚の付け根で動くようにすると、思った通り?にバランスが取れる、と。
これはなかなか難しいのですが、頑張ることにしました。

そんな感じで午前は終了。
が、このゆるーい確認が、午後のドラマチック?な展開へとつながるのでした。

午後はいよいよ各種課題の練習です。
スネーク一本橋やかまぼこ一本橋、波状路、V字溝やW字溝などの往路の常設課題と、Uターンを主とした低速スラまたは千鳥とS字中心の復路、Yさんは一つずつ丁寧に説明してくれました。

私が苦手なのはスネーク一本橋です。
昼休み中に見直しておいた過去のメモには、
「カドを曲がった後、続く直線部も真ん中ぐらいまでは引き続き橋の外側を通る」
とありました。
そうだ、こう走らないと、内輪差で後輪が橋からはみ出した後、落ちるキケンがあるのです。

「レバーは根元、ブレーキは指先、足の付け根」だの「角を過ぎても半分は外側」だの、おまじないみたいに呟きながら何度も練習していると、不思議なことに、全部できるようになってきました。
上手くいくと、他もがんばれるもので、低速UターンS字も、ギリギリながらすべてクリア。
最後は、全課題をこなしてコンプリートできてしまったのでした。
その時、時刻は16:01。
「今、全部続けてコンプリートできたので今日はもうここまでにします。」
宣言すると、Yさんと、見ていた他の参加者さんが、やったあ!と言ってくれました。

こんなに達成感が得られたのは久しぶりです。
それからふと、風に舞う桜の花びらを浴びながら、気づきました。
これは今日1日の達成感じゃない。
今までずっと続けてきたから感じる達成感なんだ。
私の中に、今日Yさんが説明してくれたことを理解できる下地があったから、できたことなんだ。

今はもういない、左利きのKさん。
いつか奇跡のようにこの樹の下で逢える気はしませんが、桜満開の晴れた日に、あるいはとんでもない酷暑日に、いつも親身に指導してもらったことを、私は忘れないでしょう。

元気でいて下さい。

一本橋の桜

はじめてのマリ

いつの間にやら、CBR650Fも3年め、初車検を通過しました。
が、今ひとつ乗れていない感がなくなりません。
軽く出かける等に支障はないのですが、いわゆる低速バランスができていない、つまり、「下手くそ」。
この10月に、絶対やったらまずい状況でエンストゴケもしてしまいましたし、そうなるともう、練習するしかない。

警察系講習会に参加するワケにいかない今、私の行く先はほとんどなく(個人主催の練習会は、コロナの影響で現在はほぼ壊滅)、選んだ先が「チームマリ モーターサイクルレッスン(@レインボー埼玉)」でした。
初参加なので、当然初級です。
だって、講習会で何が一番心配かって、段取りを知らずに行動して、周囲を危険な状況に巻き込むことが一番心配なのですから、少なくとも初回は初級に出て、流れを掴むべきだと思ったのです。
が、実際の問題はそこではありませんでした。

川崎の我が家から、桶川のレインボー埼玉は、遠い。
しかも私は足が遅いので(笑)、時間には十分余裕が欲しい。
で、家を6:30に出たら・・・関越、凍ってました。

日陰になっている第一通行帯はカチンコチンの可能性が高いので、なるべく第二通行帯を選んで走りますが、それでも道路の色が黒い!
まあまあ直線なので、手練のリーンイン(苦笑)に頼る必要はありませんが、急ブレーキが必要にならないよう、そこそこの速度(ビビリモードとも言います)しか出せません。
冬タイヤ4輪以上の皆様が、いらいらと追越車線で私を抜かしていきます。
ああ、ごめんなさい・・・、と心の中で詫びますが、心身ともにどんどん冷えていくようです。
これじゃ、冬場にツーリング敢行するのと同じだよ!
というか、この道中こそが訓練になるのか?
現地に着く前に力尽きるかも、というのは杞憂に終わりましたが、到着したら、何と早過ぎ。
指定された自車両集合場所も開いていませんでした。
幸い、顔見知りのレインボー埼玉のインストラクターさんがいて、中に入れてくれたので助かりました(ついでに、「綺麗な白だね」とバイクを褒めてくれたのも嬉しかった、・・・てホンダのバイク、御社製品だよ!)。

そんなこんなでひとり大騒ぎの末、やっと参加できた、初めてのマリ、初めて自車両で走る桶川でしたが、感想は
「楽しかった!」
いつか誰かが、「やってみて後悔することなんてない、後悔するのはやってみなかった時だ」って言ってましたが、名言です。
正直、練習内容自体は楽勝だったのですが、自車両で辿り着き、練習し、無事帰れたこと、全てセットで楽しかったのです。
昔、砧でコケたり笑ったりしながら練習してた頃みたいな、明るい気持ちを少し取り戻せたみたいでした。

またいつか行きたいな。

「キャスターブリッジの市長」を読んだ

「はるか群衆を離れて」にハマって以来、粛々と読み続けてきたハーディ作品、今回はコレです。
「キャスターブリッジの市長(トマス・ハーディ著、藤井繁訳、昭和60年 千城刊)」

ストーリーは複雑ではないのですが、あらすじを説明するのとちょっと長くなります。
19世紀前半のイングランド、貧しい労働者で激しい気性のマイケル・ヘンチャードは、酔った勢いで自分の妻と一人娘を船乗りの男に売り飛ばしてしまいます。
酔いが覚め、ことの重大さに気づいた彼は妻子を探しますが見つからず、後悔の中、地道に働き、やがて裕福な穀物商になり、キャスターブリッジの市長にも選出されます。
そんなある時、キャスターブリッジに、あの妻と娘がヘンチャードの消息を追ってやってきます。
船乗りが遭難し、消息を絶ったというのです。
ヘンチャードは姻戚として妻を町に住まわせ、時期を見て「結婚」することになります。
ただ、娘のエリザベスは、船乗りを実の父と信じており、妻を売った過去を明かせないヘンチャードは「義父」に甘んじざるを得ませんでした。
さて、人身売買事件以降、酒も断ち、真面目に生きるヘンチャードでしたが、商売にも市政にも古色蒼然とした手法しか持ち合わせません。
そこに現れたのが若く、合理的な経営手腕を持つドナルド・ファーフレイでした。
ファーフレイはヘンチャードにマネージャとして雇われ、信用を得ます。
万事、良い方向に向かうかに見えたヘンチャードの人生でしたが、妻と離別した後、懇意になった女性・ルセッタが彼を追ってキャスターブリッジに現れたことから、暗雲が広がり始めます。

・・・ああ、長い!あらすじなのに!後は端折ります。

結局ヘンチャードは破産し、妻は亡くなり、娘も実は船乗りの娘(ヘンチャードの実子は幼くして死去していた)で他人だったことが判明、どん底に落ちますが、自分の罪多かった人生を償うように、ひっそりと、ある意味穏やかに死を迎えます。

この作品、とにかくヘンチャードというキャラが濃い!
聖人君子からは程遠いのですが、エネルギッシュで自分の感情に常に正直なのです。
生き方は下手だし、酷いヤツなんだけど、全くの悪人ではない。
無力でちっぽけで、でも、かけがえのない一度きりの人生を全力で生きた、そういう人物です。
まあ、彼の描写にハーディの力が入りすぎていて、ファーフレイが中盤から「つまんねえヤツだなあ」になってしまうんですが、それも気になりません。
ハーディ、ヘンチャードを全力で描写したのですね。
今の日本ではあまり話題にならない作家ですが、やっぱり好きです。

さて、細かいところでは、「ウェザベリーの農夫のジェイムズ・エヴァディーン」、「ボールドウッドという、いつもは静かで、無口な青年」(p.314)という記述に萌えました。
これ、「はるか群衆を離れて」バスシバの叔父さんと、若い頃のボールドウッドさんに違いない!
ってことは、「はるか」の20年前くらいの時代が想定されているんですね。
こういう話ができる、ハーディ友だちがいたらいいのにな、とちょっと思ってしまったことでした。

きみを不安にさせない

ただ今、本職の方は超多忙真っ只中です。
関係者のみなさんも、刻一刻と変わる海象に振り回されるように、オロオロバタバタ。
私も例外ではありませんが。

そんな中、ひとり、とても頼りになる人がいます。
何があっても、落ち着いて対応させてくれる、というのでしょうか。
その人も、所掌や或いはそれ以上の責任を負って大変なはずなのに、どんな時も、不安や焦燥を他人に伝染させない、そういう人です。

見習いたいです。

さて、指導員をしていて、心がけていることのひとつ、優先順位ほぼ1位に「受講生を不安にさせない」というのがあります。
講習会参加の効果をなるべく大きくするためには、落ち着いて練習することが必須だと思うから。

何をどう練習すればいいのかだけではなく、(それ以前に)どこをどう通ってどういう順番でやればいいのか、焦るとわからなくなってしまう人もいるでしょう。

間違えたら叱責されるのではなくサポートを受けられる、ということに考えが及ばない時もあるかもしれません。

そういう不安をできるだけなくして、自分の練習に集中し、楽しんでもらえたら。

元・上達の遅すぎる受講生だから思うことかもしれませんが。

今はオリンピックありコロナありで講習会はオフシーズン。
秋には、気持ちも新たにスタートしたいです。

「ドラキュラの世紀末 ヴィクトリア朝外国恐怖症の文化研究」を読んだ

平野耕太「ヘルシング」始め、吸血鬼モノ好きなので手に取ったこの本でしたが、目ウロコでした。
ざっくりまとめると、ブラム・ストーカーの名作「吸血鬼ドラキュラ」は、ヴィクトリア期英国が異質なるもの(文化、民族、未知の感染症etc.)の侵入と、それによって自国の従来のありようが駆逐されていく恐怖を象徴している、というお話です。
えー、小説って、必ずしも何かを象徴したり、隠喩したりして書かれるワケじゃないでしょ、ドラキュラは作者の素晴らしい想像力によるロマンだよ、と最初は思った私、早とちりでした。
そういう単純なことではないのです。
作家が生きた時代、その時代の雰囲気、臭い、生活、意識・・・あらゆるものが、作品を構成する要素どころか元素になっているということ。
それを納得させてくれる本でした。

そういえば、最近アニメ「銀河英雄伝説」平成版を見直した時、戦闘以外の場面でやたら違和感がありました。
民主主義のはずの同盟側の人々の生活ぶりが、何というか、20世紀な感じ(昭和な、と言いたくなるくらい)なのです。
中流以上の家庭には専業主婦のお母さんがいるのが標準らしいことを筆頭に、教育であれ職業であれ、女性と男性でコースは自ずから分かれているような、そういう「空気」になっていて、生活感に未来らしさがないんですね。
まあ、原作が書かれたのは昭和の時代ですし、私が忘れているだけで、ルドルフ皇帝によって「多様性」が否定されたことで男女のステレオタイプも退行した、という記述もあったかもしれないのですが。

2021年春の今、コロナ感染症やら女性・女系天皇、SDGsと多くの問題が論じられていますが、この中には、100年後に、「何で当時議論になったのか、感覚としてよくわからない」と言われるようになるものがあるかもしれません。
例えば「男系天皇って、要はあるY遺伝子の保存問題だったわけで、するとそもそも、途中で誰かウソついていて、そのY遺伝子が(以下自粛)。だから意味のない議論じゃん。」なんて言われるようになってたりして。
遺伝子論ではない、この時代の感じ方ってものが伝わっていくのか、それともこの本のように改めて解析しないとわからないことになってしまうのか、ちょっと興味が湧いてきました。

「ドラキュラの世紀末 ヴィクトリア朝外国恐怖症の文化研究」丹治 愛著、東京大学出版会、1997年初版

HMSバランス(ハンドル切ったらあとひとつ)

参加しました。
仕事は不本意だし感染症は怖いしで、ここのところずっと晴れないままのココロ。
練習に集中することで、ちょっとだけ解放、というか、現実逃避です。

イントラさんが示した今日のテーマは「ハンドルを切る」だったのですが、私の得意?なハンドルフルロック技だけでは解決できないコース設定でした。

緩い千鳥風の設定で始まるそのコース、ラスト近くの右の小さなターンで、後輪が回り切るのを待たずに前輪をジャストな距離進めたら、即、左にバンクしないと、次の3連続パイロンの最後の1本が通れない、というものでした。

「ハンドル切ったら即、バンク」ができるかできないか。
これって、そのまま、速く走れる人とそうでない人の技術差ではないのかな?
私がスラローム得意じゃないのも、公道で飛ばせないのも、原因はコレかもしれない。
ライダーは速いのが一番!とは思わないけれど、速く走れないという事実から、自分の身についていない技術が明らかになることはあるでしょう。
・・・ワタシの場合、自分ではその弱点に気づけず、今回のように分解して教えてもらってやっとわかる、という点が問題なのか?

落ち込んでも仕方ないので、いつも通り、粛々と練習します。
ハンドル切った後すぐにバンクするのは、バランス崩しそうでちょっと怖いのですが、何度か繰り返すうちに、まぐれで成功したりします。
すると怖さが少しずつ消えてきて、そうなると、成功する率が上がってくるのです。
じきに、成功するうれしさ、楽しさが増して、怖さがすうっ、と消えていく感じ。
快感、です!
練習が私にとって最高のリフレッシュになるのは、この快感ゆえ、なのでしょうね。
未だに新しく学ぶ事がなくならないのは成長の遅さの現れかもしれませんが、修行を続ける本人が楽しいので問題ナシ!です。

休日返上で仕事をこなすという選択肢もあったに違いないこの一日、当然後悔はしませんでした。