君に秘密を教えよう

いよいよ全国大会が目前に迫ってきました。
「大会を楽しんで下さい。」
という言葉をかけてもらった選手の方も多いと思いますが、私もそうでした。

初めて選手として鈴鹿に行くことになった時、A警部補が言ってくれた言葉が、楽しんで来てね、だったのです。
(そしてそれは、砧のスタッフとしてのA警部補から聞いた、最後の言葉になりました。)

その言葉を胸に臨んだ初めての全国大会、私が感じたのは、「幸せ」でした。

自分のいちばんやりたいことと、周囲が自分に求めてくれることとが完全に一致する幸せ。
それゆえに、自分は何の迷いもなく自由だと感じる幸せ。
走り終えた私を迎えてくれる、みんなの笑顔に笑い返す幸せ。

そういうものが、鈴鹿にはあったのです。

今年、鈴鹿を走る全ての選手が、私の知ったのと同じ、最高の幸せを感じることができますように。

私の方は、退院し、自宅でのリハビリに入った夫と、普通の幸せを満喫したいと思います。

波高と位相とリーダーシップ

とある研究開発業務の提出期限前日です。
どーにか目処が立ったので、みんなで夕食食べに出ましたが、開いているのは当然居酒屋のみ。
はい、飲んじゃいました。

で、つらつら考えたこと。

一人ひとりのパフォーマンス、つまり波高は決まっています。
組織全体で、最高の結果を出そうと思ったら、当然、各自が最高のパフォーマンスを発揮すればいいのだけど、位相がズレたらどうなる?
というか、そもそも、各人の位相はズレているものなのでは?
ある人がピークの時、もう一人はどん底だったり、みんなが上がり調子の時に、一人だけ下降気味だったり。

つまり、単に最大値だけを足し合わせても、組織全体の最大のパフォーマンスにはならないのではないか?

では、組織として、最高のパフォーマンスを発揮するには、何が必要なのでしょう?

私は、強いモチベーションを持った人の、リーダーシップではないかと思います。
誰かのリーダーシップが、他の人の波高を上げるのは難しいかもしれませんが、みんなの位相差を小さくすることは十分可能だと思うのです。
その結果、個人の最大ではないにしても、最大に近い、波高を出すことができるのではないかと。

自分でも感心する理論?ですが、締め切り前日に気付くあたり、やっぱり私は情けない奴だな、と思ってしまいました。

とりあえず生存報告

特練を辞退してから10日が過ぎました。
おかげさまで、夫は順調に回復しつつあり、2,3歩なら杖を使って歩けるようになってきました。

私はと言えば、体力的にだいぶ楽になり、それに伴って、気持ちも少しずつ、浮上してきたか?というところ。
そりゃそうだ、特連にいた頃は、毎日7:30から17:30まで本職、その後は病院で夫の身の回りの世話、帰宅したら洗濯を筆頭に手抜きとはいえ一通りの家事、夕食と翌日のお弁当の準備、食後は入浴を挟んで呼吸法と弛緩法のトレーニング、技能課題の図上演習、法規のおさらい、最後に日記書いてやっと就寝、という体力の限界に挑戦?してたのですから。

こんなコトしてたら、体力も続かないよな~、と気づくのが遅過ぎます。
もっと考えて、セルフコントロールする必要があったのに。
まあ、大変な事態になる前に、気づくことができたのはラッキー!かもしれません。

写真は、何となく今も消すことができない、最後の図上演習の跡。
消してしまったら、新しい、真っ白なスペースができることはわかっているのですが、今はまだ消せません。なお、実はこの中に、ワタシの敗因が見て取れます。

因みに、すみっこに固まってる丸いモノたちは、投げ込み広告のマグネット(パイ*おじさんとか)をパンチ穴あけで抜いて作った磁石です。
パイロンに見たてて使います。
特練仲間のアイディアですが、かなり便利です。

たぶん日本一情けない最終選考のお話

決戦の朝は雨でした。
ウェットコンディションの方が気分的に落ち着きそうだったので、これはいい前兆かもしれない、と思いました。
左手首には、夫がまた書いてくれた「ハングリー精神と集中力」の文字。
舞台は整っていました。

最終選考は、サドンデス方式で行われます。
3年前、私は県大会で優勝し、特練の選考会のサドンデスも制しながら、全国大会の選手にはなれなかったことがありました。
その場では納得できなかったのですが、今はその理由がわかります。
あの年に全国大会に出ていたら、おそらく私は完膚なきまでに叩きのめされていたことでしょう。
全国大会で戦うことの意味も理解しておらず、通用するようなレベルに達してもいなかったのですから。
その後の1年こそが、私にとって、全国大会の選手として戦う力をつけるために必要な時間でした。
あの経験も、自分の運命だった気がします。

そして選考会が始まりました。
もし負ければ、私の人生で最後になるかもしれない各課題です。
そのことを肝に銘じて、ひとつひとつ丁寧に走る!
それだけを考えることにしました。

私は始めから、今年を最後の挑戦にしようと思っていました。
有り体に言えば、選手であることは、40代で終わりにする、と決めていました。
それ以上固執し続けて、若い人のチャンスを奪うような真似をしてはいけない、とずっと思っていたのです。
若い人が、大変な思いをして、奮い立って、勝利を目指すのが、本来あるべき選手像だと。

そんな思いを込めた選考会でしたが、生業の憂いに疲れ切った身体は、思うように動いてはくれませんでした。
私の運命は、「この日が最後の戦い」だったのでした。

心は全力で戦っていたのに、身体がついていかなかったこと。
敗北の大きな原因はそのへんかな、と思いました。
もっというと、仕事や看病で体力を消耗していることを考慮した上での体調管理ができていなかったこと、潜在意識をうまく働かせることができなかったこと、でしょうか。
いずれにせよ、セルフコントロールの失敗、だったと思います。
それはすなわち、全国大会に値する自分ではなかった、という事実です。
真実はたくさん、人の数だけあるけれど、事実は一つ、ですね。

すべてが終わった後、選考会を見届けてくれた、私の尊敬する方が、こんなことを言ってくれました。
「緊張しましたか?でもガチガチの悪い緊張ではなかったね。いい目をしてました。」
少しだけ、救われたような気がしました。

そんな訳で、「最後の安全運転大会」は早々と終わってしまいました。
さらに情けないのは、若い人にチャンスをあげたい!などとヌカした自分が負けた相手は、自分より年上(爆)
まあ、これが現実ってことですね。

応援して下さった方、心配して下さった方、最後まで気をもませて申し訳ありませんでした。
そして・・・ありがとうございました。