今日は土曜日、1週間の仕事の疲れを癒す週末です。
スタートは、バイク関係の予定。
早起きするのはちょっとしんどいけど、バイクで体を動かせば、ウィークデイに溜め込んだストレスがすうっ、と軽くなることはわかっています。
前夜にしっかり準備して、少しでも睡眠不足にならないように気をつけて迎えた朝、まだ半分寝ぼけた私に、一本の電話がかかってきました。
雨のため、今日の予定は中止です、というチーフの声。
思わず、ありがとうございます、家を出る前にご連絡いただいて助かりました、とスマホに頭を下げてしまいました。
実は起きた時から、体の疲れが取れていないのを感じていたので、この中止連絡は、思わぬ休養許可に思えたのでした。
神様、ありがとうございます、という思いが溢れてきました(病んでますね)。
至福の二度寝体験ができる、という感動に浸っているうちに、ふと気づいたこと。
こんな時につい、私が感謝してしまう「神様」って、実際には、「偶然」の集大成というか、結果なわけです。
でも、この結果に至るには、たくさんの人の行動、決断、思いがあったことでしょう。
窓の外は確かに雨でしたが、主催者には、予定を結構するという選択肢もあったはずです。
そこを(想像ですが)、例の新型ウィルスの件もあるし、天気予報がよくないとあまり人が集まらないかもしれないし、迷っている人が心置きなく欠席できるよう中止にしよう、と考えた方がいたのかもしれません。
チーフは、そういう連絡があればすぐメンバーに伝えられるよう、早朝から準備してくれていたのでしょう。
その他にも、私が気づいていないだけで、この決定に関わった方はいるに違いありません。
つまり、私が感謝せずにはいられない「神様」って、人間の行動やその奥にある思いの集積なんだなあ。
私の思考は大体そこまで。
あとはベッドに戻って、疲れたままの心と体を休ませたことは、いうまでもありません。
神様、ありがとうございます、なのでした。