レッスンプラン

今日から特練です。
問題のアフォーメーションは何とか下書きまでたどり着きました。
何枚か清書して、いつでも目に入るようにしなければならないのですが、今はそこまで行ってません。
とはいえ、特練開始にあたり自分のレッスンプランができていないとお話にならないので、昨日、こっちを先に作ってしまいました。

レッスンプランも、、アドラー心理学、じゃなくて、アフォーメーションと考え方は同じです。
自分にとっての目標、そのための節点、そのための強化項目・・・という順に作成しました。

が、実際、特練でメンバーと顔合わせをしたら、ビビってしまいました。
自分にはやっぱりムリかもしれない、という弱気がムクムク首をもたげて、頭の中では、ダメだった場合のリスクアセスメントばかり考える始末。
それではマズいので、必死で勇気を奮い起こし、今、目の前にある自分のレッスンプランを実行することだけに意識を集中させました。

これ、いい方法でした。
具体的な数値目標とかを設定しておいたので、理性の方が強く働くというか、迷いとか恐れとかに心を引きずられにくくなったみたいでした。
そして、夢中になって練習しているうちに、先が見えないことさえも、自分自身の「挑戦」が持つ楽しみのように思えてきました。

私は、子どもの頃から、物語を読むのが大好きでした。
でも今、かつて読んできたどんな物語よりもすばらしい物語を自分で生きているような気がします。
先週、あれほど落ち込んだのが、まるで嘘のように。
・・・というのはむしろ逆で、落ち込んだから、こんな素敵な、新しい経験が始まったのかもしれません。

というわけで、レッスンプランの作成、おススメです(←無理矢理着地)。

カラダ修繕

4月頃から、週一ペースで整体に通っています。
骨折していた右手首のメンテのためです。
日常生活に大きな支障はありませんが、負傷以前と全く同じ、とはいきません。
トシのせいか?

骨折後、医療機関でのリハビリは、基本的に医師が完治宣言をするまでです。
一般的な普通の生活ができると診断されれば終了、ってことです。

私の場合、完治宣告後も痺れがあって、細かい動作(小銭を出すとか)がうまくできなかったので、かかりつけの接骨院に通いました。
ここはリハビリ施設はないので、自宅のお風呂で碁石拾いなどしながら、3か月くらいの通院で、痺れはとれました。

で、今、整体です。
右手首が滑らかに回らない分、ひじや肩を振り上げるクセがついているらしく、手首から首筋が疲れると張るので。
因みにこの症状、ライディングというより、マウス操作する時間が長いのが原因ではないかと思っています。

整体、保険が効かないので、一回あたり接骨院の20倍くらいかかるのが難点です。

でも、お財布からお札を一枚出すとか、バッグを肩にかけたまま中をガサゴソやるとか、かつて当たり前にできた動作のスムーズさを取り戻すまでは、がんばってみようと思います。

アフォーメーション

県大会翌日の日曜日、忙しかったので会社に出て、一心不乱に仕事しました。
まがりなりにも管理職なので、休日に会社のインフラ使って仕事しても、文句は言われません。
でも、気持ちは晴れなくて、深呼吸するのも苦しいくらい。

たぶんこれ、セルフイメージが傷ついて、精神状態が不安定になっているのだな。
そう思い、立て直しを図ることにしました。
テキストは白石豊氏の著書「本番に強くなる」(ちくま文庫)
・・・この期に及んで、あまりにもベタです。

とセルフツッコミはおいといて、私がやってみたのは、「アフォーメーション」という方法です。
これは、達成したい目標とそのための具体的な方法を書く、というもの。
作成手順も決まっています。
目標を決め、期限を決め、その目標が達成された時の自分にとっての価値を書きます。
それから現状分析、実行計画、リソースの確認・・・と続くのですが、私はすぐに「目標が達成された時の自分にとっての価値」で行き詰まりました。

白石氏は、「自分にとっての価値であって、周囲の評価などではない」と明言されています。
自分にとっての、本当の価値・・・何だろう?
鉛筆なめなめ(嘘)、書いては消し、書いてはまた消しを繰り返しながら、「周囲の評価」という言葉がとても引っかかります。
最近、同じような言葉に出会ったような・・・?

アドラー心理学だ!
kindleで読んだ、「嫌われる勇気」という本に出てきてました。
(岸見一郎、古賀史健著「嫌われる勇気」ダイヤモンド社)
そうそう、他者に対する承認欲求について書かれていたくだりです。
他者からほめられることで、自分の価値を実感してはいけない、それは自分の生を生きていることではない、そういうお話でした。

そこまで考えて、急に気がつきました。
自分の心が悲鳴をあげている理由に。

私にとって、「準優勝(は敗者だ。しつこい。)」は、他者からの承認欲求が満たされないことだったのです。
承認欲求が満たされないことで、自分の価値がなくなったと思ってしまっていたのです。
参ったな、もう。
というか、アドラーってやっぱりスゴい人なのか。
妙に感心しつつ、笑ってしまいました。

それからじっくり考えて、私は、周囲の評価などではない、自分にとっての価値を書きました。
そして白石氏の説く通り、達成したときの、自分へのご褒美も仕掛けておくことにしました。
ご褒美、大事です。
これがないと、苦しい努力が終わることだけが楽しみになってしまって、結果、終わらせるためだけの時間を過ごしてしまいそうでコワいから。

苦心惨憺のアフォーメーション、明日くらいには仕上げたいです(←まだ書いている途中・・・)

「準優勝は敗者だ」

昨日は二輪車安全運転神奈川県大会でした。
私の成績は2位・・・負けました。
今まで、県大会での入賞といえば3位と1位だけしか経験がなかったので、これでコンプリート!
って、全然うれしくないです。
沈下してます。
たまたま大会前日に見た何かの広告
「準優勝は敗者だ」というコピーの意味を心底理解してしまった気分。

私の大好きな作家パウロ・コエーリョによれば、すべての経験には必ず自分にとっての意味があるはずだということです。
では、今回の体験は、私にとってどんな意味があるのでしょう?

自分の心に驕りがあるということ。
所詮自分など、時間をかけて練習をすることで何とか取り繕っているだけで、十分に練習できなければただの無能だということ。
・・・ネガティブなことしか、今は思いつかないです。

「万年4位」と揶揄された頃の私なら、準優勝で狂喜したことでしょう。
その頃と比べて、成長した、と言えるのでしょうか。
今はそれもわかりません。

ともあれ、ここしばらく、本業多忙にかこつけて、文章を書いていなかったので、これからはなるべく書いていきたいと思います。
私がネット上で文章を公開し始めた頃と違って、今はのほほんんとした匿名性がなく、読み手がすぐにリアルと結びつけて個人や団体を特定しようとする傾向があるので、ちょっと書きづらいところはありますが、できるだけ、匿名性を保った「お話」ができればいいな。

新しいグローブ


ようやくジャストサイズのものに巡り会えたました。
FOXのオフ用です。
レバーに指をかけた時、うっとりするほどフィットします。

甲の部分にプロテクター的なものが付いていないので、ツーリングには使いませんが、講習会やHMSには最適か?