君に秘密を教えよう

いよいよ全国大会が目前に迫ってきました。
「大会を楽しんで下さい。」
という言葉をかけてもらった選手の方も多いと思いますが、私もそうでした。

初めて選手として鈴鹿に行くことになった時、A警部補が言ってくれた言葉が、楽しんで来てね、だったのです。
(そしてそれは、砧のスタッフとしてのA警部補から聞いた、最後の言葉になりました。)

その言葉を胸に臨んだ初めての全国大会、私が感じたのは、「幸せ」でした。

自分のいちばんやりたいことと、周囲が自分に求めてくれることとが完全に一致する幸せ。
それゆえに、自分は何の迷いもなく自由だと感じる幸せ。
走り終えた私を迎えてくれる、みんなの笑顔に笑い返す幸せ。

そういうものが、鈴鹿にはあったのです。

今年、鈴鹿を走る全ての選手が、私の知ったのと同じ、最高の幸せを感じることができますように。

私の方は、退院し、自宅でのリハビリに入った夫と、普通の幸せを満喫したいと思います。

たぶん日本一情けない最終選考のお話

決戦の朝は雨でした。
ウェットコンディションの方が気分的に落ち着きそうだったので、これはいい前兆かもしれない、と思いました。
左手首には、夫がまた書いてくれた「ハングリー精神と集中力」の文字。
舞台は整っていました。

最終選考は、サドンデス方式で行われます。
3年前、私は県大会で優勝し、特練の選考会のサドンデスも制しながら、全国大会の選手にはなれなかったことがありました。
その場では納得できなかったのですが、今はその理由がわかります。
あの年に全国大会に出ていたら、おそらく私は完膚なきまでに叩きのめされていたことでしょう。
全国大会で戦うことの意味も理解しておらず、通用するようなレベルに達してもいなかったのですから。
その後の1年こそが、私にとって、全国大会の選手として戦う力をつけるために必要な時間でした。
あの経験も、自分の運命だった気がします。

そして選考会が始まりました。
もし負ければ、私の人生で最後になるかもしれない各課題です。
そのことを肝に銘じて、ひとつひとつ丁寧に走る!
それだけを考えることにしました。

私は始めから、今年を最後の挑戦にしようと思っていました。
有り体に言えば、選手であることは、40代で終わりにする、と決めていました。
それ以上固執し続けて、若い人のチャンスを奪うような真似をしてはいけない、とずっと思っていたのです。
若い人が、大変な思いをして、奮い立って、勝利を目指すのが、本来あるべき選手像だと。

そんな思いを込めた選考会でしたが、生業の憂いに疲れ切った身体は、思うように動いてはくれませんでした。
私の運命は、「この日が最後の戦い」だったのでした。

心は全力で戦っていたのに、身体がついていかなかったこと。
敗北の大きな原因はそのへんかな、と思いました。
もっというと、仕事や看病で体力を消耗していることを考慮した上での体調管理ができていなかったこと、潜在意識をうまく働かせることができなかったこと、でしょうか。
いずれにせよ、セルフコントロールの失敗、だったと思います。
それはすなわち、全国大会に値する自分ではなかった、という事実です。
真実はたくさん、人の数だけあるけれど、事実は一つ、ですね。

すべてが終わった後、選考会を見届けてくれた、私の尊敬する方が、こんなことを言ってくれました。
「緊張しましたか?でもガチガチの悪い緊張ではなかったね。いい目をしてました。」
少しだけ、救われたような気がしました。

そんな訳で、「最後の安全運転大会」は早々と終わってしまいました。
さらに情けないのは、若い人にチャンスをあげたい!などとヌカした自分が負けた相手は、自分より年上(爆)
まあ、これが現実ってことですね。

応援して下さった方、心配して下さった方、最後まで気をもませて申し訳ありませんでした。
そして・・・ありがとうございました。

ひと夏の夢の扉

そして選考会本番。
私は、今までに一度も経験したことがないくらい、さわやかで明るい気持ちでした。
自分は何からも逃げていない、自分の運命を知るために、全力で挑戦しようとしている。
そう思いました。

それに、もし負けてしまったら、この選考会での走行が、私にとって、最後の一走になるわけです。
これから先の一生、思い出すたびに幸せな気持ちになれる、最高の走りにしなくては。

そして始まった選考は、厳しい戦いになりました。
でも、少しも辛くはなかったのです。

昨日、たまたま本業の絡みで、「夢の扉」という番組の録画を見たのですが、そこには、いつも明るく笑って仕事をしているパートナーが、どれだけ苦労してそこまで辿りついたかが描かれていました。
夢の扉は重くて、なかなか開かないのです。
今、私も夢の扉を開けようとしているのでしょう。
重くて、大変なのは当たり前です。
でも、その重い扉を開けようとしているこの瞬間の爽快感!
自分は恵まれている、幸せだと思いました。

全力を尽くし、もう悔いはない、と思えた選考会でしたが、結果は

後日決戦!

何なんだよ、何やってんだよ、と指導陣からたくさんお小言をいただきました。
詳細は省略しますが、まあ、そういうわけです。

この夏の夢の扉は重くて、一回では開かなかったのでした。
そのことを、かつてチームメイトだった指導員さんに言うと、呵呵として一言。
「おう、何度でも押してくれ」

やはり場数を踏んでいる人は強いな、と思いました。

「ハングリー精神と集中力」

夫の入院が決まった時、私は特練を辞める決意を固めました。
もし、代表になれたとして、日本で1200人しかいないような難病で、しかも自力では立つこともできない夫を置いて鈴鹿に行く訳にはいかない、と思ったからです。

とはいえ、入院当日には、治療方針は決まらず、期間の見込みも立っていなかったので、そのあたりの情報がもう少し揃うまで、結論は出せませんでした。
夫には、辞めるつもりであることを告げましたが、夫の答えは
「あきらめるのはまだ早いんじゃないか?」
でした。

確かに、見通しが立たない状況であきらめるのは早計です。
でも、この春昇進したために、本業の方は昨年までと比べ物にならないくらい多忙になっていますから、夫の付き添いと特練と、両立というか三立?をムリして、私が倒れる訳にもいきません。

では、大会をこんな形であきらめて、納得できるのか?
あきらめてしまったら、
「人生をずっと、自分の運命を探求しなかった、もうそうするには遅すぎると思って暮らすだろう」
(パウロ・コエーリョ「夢を旅した少年 アルケミスト」山川紘矢・亜希子訳)
ということになるような気もしました。

忙しすぎる毎日の、そのくせよく眠れない夜をいくつも悩み抜いた挙げ句、私は週末に行われる、特練の選手選考会にすべてをゆだねることにしました。

もし選考会で勝って、代表選手に決まったら、迷わず鈴鹿まで戦い抜く。
(その間、夫の付き添いは、派遣か下請けか、なんでもいいから外注しよう)
もし負けたら、潔く特練を辞退する。
そう決めました。

私は運命というものを、結構信じています。
たいていモノゴトは、「一番苦労の多い方向に進んでしまう」ことが多いからです。
これを運命と言わずに何と言う?
ならば私は、選考会で全力を尽くすことで、自分の運命を知ろう。
そう思いました。

「自分のために最高の走りをしたいと思うこと」
それが集中力を高めるために大切だと、尊敬する方に教わりましたが、その意味が何となくわかったような、それとも全く誤解したような、両方の気がしました。

選考会前夜、夫は私の決意を聞くと、そうか、と優しく微笑んでくれました。
そして車椅子に座ったまま、私の左手首に、油性ペンでこんな言葉を書いてくれました。

「ハングリー精神と集中力」

その文字は、お風呂に入っても消えませんでした。
日本の文具、スゴいです。

レッスンプラン

今日から特練です。
問題のアフォーメーションは何とか下書きまでたどり着きました。
何枚か清書して、いつでも目に入るようにしなければならないのですが、今はそこまで行ってません。
とはいえ、特練開始にあたり自分のレッスンプランができていないとお話にならないので、昨日、こっちを先に作ってしまいました。

レッスンプランも、、アドラー心理学、じゃなくて、アフォーメーションと考え方は同じです。
自分にとっての目標、そのための節点、そのための強化項目・・・という順に作成しました。

が、実際、特練でメンバーと顔合わせをしたら、ビビってしまいました。
自分にはやっぱりムリかもしれない、という弱気がムクムク首をもたげて、頭の中では、ダメだった場合のリスクアセスメントばかり考える始末。
それではマズいので、必死で勇気を奮い起こし、今、目の前にある自分のレッスンプランを実行することだけに意識を集中させました。

これ、いい方法でした。
具体的な数値目標とかを設定しておいたので、理性の方が強く働くというか、迷いとか恐れとかに心を引きずられにくくなったみたいでした。
そして、夢中になって練習しているうちに、先が見えないことさえも、自分自身の「挑戦」が持つ楽しみのように思えてきました。

私は、子どもの頃から、物語を読むのが大好きでした。
でも今、かつて読んできたどんな物語よりもすばらしい物語を自分で生きているような気がします。
先週、あれほど落ち込んだのが、まるで嘘のように。
・・・というのはむしろ逆で、落ち込んだから、こんな素敵な、新しい経験が始まったのかもしれません。

というわけで、レッスンプランの作成、おススメです(←無理矢理着地)。

アフォーメーション

県大会翌日の日曜日、忙しかったので会社に出て、一心不乱に仕事しました。
まがりなりにも管理職なので、休日に会社のインフラ使って仕事しても、文句は言われません。
でも、気持ちは晴れなくて、深呼吸するのも苦しいくらい。

たぶんこれ、セルフイメージが傷ついて、精神状態が不安定になっているのだな。
そう思い、立て直しを図ることにしました。
テキストは白石豊氏の著書「本番に強くなる」(ちくま文庫)
・・・この期に及んで、あまりにもベタです。

とセルフツッコミはおいといて、私がやってみたのは、「アフォーメーション」という方法です。
これは、達成したい目標とそのための具体的な方法を書く、というもの。
作成手順も決まっています。
目標を決め、期限を決め、その目標が達成された時の自分にとっての価値を書きます。
それから現状分析、実行計画、リソースの確認・・・と続くのですが、私はすぐに「目標が達成された時の自分にとっての価値」で行き詰まりました。

白石氏は、「自分にとっての価値であって、周囲の評価などではない」と明言されています。
自分にとっての、本当の価値・・・何だろう?
鉛筆なめなめ(嘘)、書いては消し、書いてはまた消しを繰り返しながら、「周囲の評価」という言葉がとても引っかかります。
最近、同じような言葉に出会ったような・・・?

アドラー心理学だ!
kindleで読んだ、「嫌われる勇気」という本に出てきてました。
(岸見一郎、古賀史健著「嫌われる勇気」ダイヤモンド社)
そうそう、他者に対する承認欲求について書かれていたくだりです。
他者からほめられることで、自分の価値を実感してはいけない、それは自分の生を生きていることではない、そういうお話でした。

そこまで考えて、急に気がつきました。
自分の心が悲鳴をあげている理由に。

私にとって、「準優勝(は敗者だ。しつこい。)」は、他者からの承認欲求が満たされないことだったのです。
承認欲求が満たされないことで、自分の価値がなくなったと思ってしまっていたのです。
参ったな、もう。
というか、アドラーってやっぱりスゴい人なのか。
妙に感心しつつ、笑ってしまいました。

それからじっくり考えて、私は、周囲の評価などではない、自分にとっての価値を書きました。
そして白石氏の説く通り、達成したときの、自分へのご褒美も仕掛けておくことにしました。
ご褒美、大事です。
これがないと、苦しい努力が終わることだけが楽しみになってしまって、結果、終わらせるためだけの時間を過ごしてしまいそうでコワいから。

苦心惨憺のアフォーメーション、明日くらいには仕上げたいです(←まだ書いている途中・・・)

「準優勝は敗者だ」

昨日は二輪車安全運転神奈川県大会でした。
私の成績は2位・・・負けました。
今まで、県大会での入賞といえば3位と1位だけしか経験がなかったので、これでコンプリート!
って、全然うれしくないです。
沈下してます。
たまたま大会前日に見た何かの広告
「準優勝は敗者だ」というコピーの意味を心底理解してしまった気分。

私の大好きな作家パウロ・コエーリョによれば、すべての経験には必ず自分にとっての意味があるはずだということです。
では、今回の体験は、私にとってどんな意味があるのでしょう?

自分の心に驕りがあるということ。
所詮自分など、時間をかけて練習をすることで何とか取り繕っているだけで、十分に練習できなければただの無能だということ。
・・・ネガティブなことしか、今は思いつかないです。

「万年4位」と揶揄された頃の私なら、準優勝で狂喜したことでしょう。
その頃と比べて、成長した、と言えるのでしょうか。
今はそれもわかりません。

ともあれ、ここしばらく、本業多忙にかこつけて、文章を書いていなかったので、これからはなるべく書いていきたいと思います。
私がネット上で文章を公開し始めた頃と違って、今はのほほんんとした匿名性がなく、読み手がすぐにリアルと結びつけて個人や団体を特定しようとする傾向があるので、ちょっと書きづらいところはありますが、できるだけ、匿名性を保った「お話」ができればいいな。