決戦の朝は雨でした。
ウェットコンディションの方が気分的に落ち着きそうだったので、これはいい前兆かもしれない、と思いました。
左手首には、夫がまた書いてくれた「ハングリー精神と集中力」の文字。
舞台は整っていました。
最終選考は、サドンデス方式で行われます。
3年前、私は県大会で優勝し、特練の選考会のサドンデスも制しながら、全国大会の選手にはなれなかったことがありました。
その場では納得できなかったのですが、今はその理由がわかります。
あの年に全国大会に出ていたら、おそらく私は完膚なきまでに叩きのめされていたことでしょう。
全国大会で戦うことの意味も理解しておらず、通用するようなレベルに達してもいなかったのですから。
その後の1年こそが、私にとって、全国大会の選手として戦う力をつけるために必要な時間でした。
あの経験も、自分の運命だった気がします。
そして選考会が始まりました。
もし負ければ、私の人生で最後になるかもしれない各課題です。
そのことを肝に銘じて、ひとつひとつ丁寧に走る!
それだけを考えることにしました。
私は始めから、今年を最後の挑戦にしようと思っていました。
有り体に言えば、選手であることは、40代で終わりにする、と決めていました。
それ以上固執し続けて、若い人のチャンスを奪うような真似をしてはいけない、とずっと思っていたのです。
若い人が、大変な思いをして、奮い立って、勝利を目指すのが、本来あるべき選手像だと。
そんな思いを込めた選考会でしたが、生業の憂いに疲れ切った身体は、思うように動いてはくれませんでした。
私の運命は、「この日が最後の戦い」だったのでした。
心は全力で戦っていたのに、身体がついていかなかったこと。
敗北の大きな原因はそのへんかな、と思いました。
もっというと、仕事や看病で体力を消耗していることを考慮した上での体調管理ができていなかったこと、潜在意識をうまく働かせることができなかったこと、でしょうか。
いずれにせよ、セルフコントロールの失敗、だったと思います。
それはすなわち、全国大会に値する自分ではなかった、という事実です。
真実はたくさん、人の数だけあるけれど、事実は一つ、ですね。
すべてが終わった後、選考会を見届けてくれた、私の尊敬する方が、こんなことを言ってくれました。
「緊張しましたか?でもガチガチの悪い緊張ではなかったね。いい目をしてました。」
少しだけ、救われたような気がしました。
そんな訳で、「最後の安全運転大会」は早々と終わってしまいました。
さらに情けないのは、若い人にチャンスをあげたい!などとヌカした自分が負けた相手は、自分より年上(爆)
まあ、これが現実ってことですね。
応援して下さった方、心配して下さった方、最後まで気をもませて申し訳ありませんでした。
そして・・・ありがとうございました。