初めて読みました、少女小説の巨星・吉屋信子さんの本!
美しい表紙に惹かれ、バーゲンブックで出ていたことに惹かれての購入です(笑)。
因みに表紙画の松本かつぢさん、偶然にも現在、弥生美術館で展覧会開催中とのこと。
さてこの「黒薔薇」(くろしょうび、と読みます。ばらじゃないの)、もともとは吉屋氏のパンフレット、内容としては毎月発行する個人誌(要は一人で出してる同人誌か?)のタイトルだそうです。
今回読んだ「黒薔薇」は、その個人誌に掲載された作品からのセレクト集として編集されています。
そしてさらに、巻頭の長編作品が「黒薔薇」で、原題は「或る愚しき者の話」・・・ややこしいな。
ストーリーは、以前紹介した「乙女の港」同様、大正期の女性同士のプラトニックな恋愛を扱ってます。
川端康成作品との決定的な違いは、ヒロイン章子のイキの良さ!
教え子の和子に純な思いを寄せつつ、職場である女学校では旧弊な校長や周囲を思いっきりクサします。
が、自分から鎧で固めた聖女のごとく反旗を翻すのではなく、ひたすら心の中で悪態つきまくるのね。
それが態度に出てしまうこともあるのですが、本人に、周囲を変えようという強い意志はほぼ皆無です。
そのある意味中途半端さが、章子の存在にリアリティを与えています。
今でも結構いると思います、こういうタイプ。
ストーリー自体は、章子目線の語りになったり、作者の語りになったり、けっこうハチャメチャな部分もあります。
作者は「15章から章子の文体に変更」とお詫びの文章を入れていますが、私の読解力では、1~8章が章子目線、9~14章が作者、15章以降が両者入り乱れ、に取れました。
ま、元が個人誌だし、そこは気にするトコじゃないでしょう。
それよりも、吉屋信子という作家が、出版社だ編集者だといったしがらみから自由になって書こうとした世界を堪能できることが、この作品の良さなのだと思います。
最後に引用。
「伝統と習俗と境遇のつれなさにめざまされた自我はやがて自らを主としてこれらに打ち勝たねばならぬ。世界を自らの価値に計量し直さねばならない。この自我の確立と成長と進展こそは人間の一生にかけられた唯一のまことの仕事なのである。(中略)おとめの日のこの自我の目覚めこそは祝福されねばならない。」
同時収録された「若き魂の巣立ち 学窓を出る姉妹に捧ぐ」の一節です。
女性に対する、温かな愛情を感じませんか?