おやすみ、ロッキー

「ロッキーが虹の橋を渡りました。」
夫からのラインに気づいたのは受信から30分後、客先との懇親会が終わって、会計を済ませた時でした。
私が飲んでる真っ最中だったのか・・・。
2023年4月17日19:35、17歳8か月と14日の生涯でした。
大切な家族だった一匹の猫。

その朝、私と夫は、ロッキーをかかりつけの獣医さんに預けました。
前夜、何度も力尽きそうになりながらも苦しい呼吸を続けていたので、もしかしたら持ち直すかもしれないと思ったのです。
でも、助けることはできませんでした。
大の苦手だった動物病院で、大嫌いだった獣医さんに看取られて逝ってしまった・・・こんなことになるなら、家で最後の瞬間まで、見届けてあげたかった・・・。
死因は腎不全。
10年近く糖尿病の治療を頑張ってくれたロッキーでしたが、生き物の命、というか臓器には当然ながら使用限界があったのでした。

彼(私と夫は会話の中で、ロッキーのことをこう呼びます)の死に関して、私には大きな後悔があります。
我が家で過ごした最後の夜、私が帰宅した時には、彼は衰弱のあまり水飲み用に置いてある容器まで辿り着けず、台所の床に伸びていました。
私は水を飲ませ、さらに給餌も試みましたが、食べません(当然か)。
その時、どうして気づかなかったんだろう、彼の大好物のツナ缶の、せめて汁だけでもあげよう、と。

その後帰宅した夫は、食事ができないなら、薬だけは与えなければ、と言い、おそらく致命的なミスを犯しました。
腎臓の薬と一緒に、インスリンを与えてしまったのです。
エサを食べていないのに、インスリンを与えたりしたら・・・。
後に、獣医さんからそのことを指摘されましたが、夫は受け止められなかった様子でした。
私は夫を責めませんでした。
気づかなかったこと・・・過失・・・は私も同じだから。

彼の死後、しばらく私は普通に冷静に過ごしていたと思います。
悲しみに浸ることが、仕事や現実からの逃避みたいに感じていたのでしょう。

ただ、こんなふうに考えていました。
これからはもう、一瞬たりとも違う場所で別々の時間を過ごすことはない。
いつも、ロッキーは、わたしの中ですやすやと眠っている、と。

だけど、平静さを無理に作って、悲しみから逃げていたことが、今となってはわかります。
夏を迎える頃には、私は感情偽装?に耐えられなくなったのか、ロッキーの死を思って、素直に泣けるようになりました。

今でも、思い出すと涙が出てくるのですが、やっぱり書き留めておきたい。
生きた時間の全てを、私たち家族にくれた猫のことを。

少しずつ、書いていきたいと思います。

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